【Case40:花王の場合】マケシリ〜マーケティング事例に隠された心理効果を知ろう〜
マケシリでは、最近ちょっと気になったマーケティング事例を独断と偏見でピックアップ!
弊社顧問で心理学博士の関屋 裕希さんになぜ気になっちゃうのかを心理学の観点から紐解いていただきます。
PROFILE
関屋 裕希Yuki Sekiya
せきや・ゆき/臨床心理士。公認心理師。博士(心理学)。東京大学大学院医学系研究科 デジタルメンタルヘルス講座 特任研究員。専門は職場のメンタルヘルス。業種や企業規模を問わず、メンタルヘルス対策・制度の設計、組織開発・組織活性化ワークショップ、経営層、管理職、従業員、それぞれの層に向けたメンタルヘルスに関する講演を行う。近年は、心理学の知見を活かして理念浸透や組織変革のためのインナー・コミュニケーションデザインや制度設計にも携わる。著書に『感情の問題地図』(技術評論社)など。
ホームページ:https://www.sekiyayuki.com
ドラッグストアのシャンプー棚の前で、どれを買うか決められず、気づけばスマホで口コミを検索し始めていた。そんな経験はありませんか。棚には似たようなボトルがずらりと並び、成分も価格もさまざまで、比べれば比べるほどわからなくなってきます。
この「選べない」時代に、花王がユニークな売り方を仕掛けました。2026年7月9日〜21日に原宿で開催されたポップアップ「pick pick market」です。対象は、melt/THE ANSWER/MEMEMEの3ブランド。
背景には花王の調査があります。20〜50代男女400名に聞いたところ、71.8%が「情報や選択肢が多すぎて、何を基準に選べばよいかわからない」と回答。一方で69.3%が「自分の感性に基づいた商品提案に興味がある」と答えたそうです。
会場では「ゆっくり休みたい」「ワクワクしたい」といった気分から商品を選びます。全9問の選択肢を進めると自身の気分や価値観が自然と浮かび上がる設計になっていて、最終のレジで気分に合わせた提案を受けられる流れです。
さらにAmazonの特設サイトには、好みのシャワーブースのイラストを直感でクリックすると、今の気分に合うブランドに出会えるコンテンツも用意され、来店できない層へのタッチポイントになっています。花王はこの戦略コンセプトを「感性マーケティング」と呼び、成分・機能軸ではなく「使用時の感情体験」を起点にブランドを構築していくのだそうです。

なぜ私たちは「選べない」のか
──シャンプー売り場で固まってしまう感覚、多くの人に覚えがあると思います。心理学ではどう説明できますか?
関屋:これはまさに選択肢過多の状況ですね。選択肢過多(選択のパラドックス)とは、選択肢が多すぎるとかえって選べなくなり、選んだ後の満足度まで下がってしまう現象のことです。選択肢は多いほど嬉しいはずなのに、ある量を超えると負担のほうが大きくなってしまうんです。
花王の調査で71.8%もの人が「情報や選択肢が多すぎて、何を基準に選べばよいかわからない」と答えているのは、その裏付けと言えます。負担が大きくなると、人は「決定回避」、つまり選ぶこと自体をやめて決定を先送りする行動に傾きやすくなります。売り場で何も買わずに帰ってしまう、あれですね。
シャンプー選びは「脳の体力」を使っている
──とはいえ、シャンプーを選ぶくらいで「負担」と言えるんでしょうか?
関屋:それが、意外と大きいんです。認知資源とは、注意を向けたり比較・判断したりするときに使われる、脳のエネルギーのようなものです。使うほど消耗し、判断の質が落ちていく状態は「決定疲れ」と呼ばれます。私たちは1日に何度も小さな決定をしていて、その積み重ねで思った以上に消耗しているんですね。
今回の仕組みがうまいのは、「シャンプーを選ぶ」という比較検討の作業を、気分の質問に答えるだけの形に置き換えて、認知資源の消耗を軽減している点です。成分表を読み比べなくていいので、疲れている日でも選べますよね。
「気分で選ぶ」が負担を楽しさに変える
──「ゆっくり休みたい」という気分から入る、というのが新鮮でした。
関屋:ここが2つ目のポイントで、選ぶ負担を減らすだけでなく、ポジティブな体験に転換しているんです。私たちの意思決定は、論理よりも先に感情が方向づけをしていると考えられています。先に感情で「こっちがいい」と決まり、後から理屈で納得する順番を取りやすいんですね。気分から入る設計は、この順番に沿っています。
しかも全9問に答えるうちに自分の気分や価値観が浮かび上がる、心理テストのような形式ですよね。人には「自分のことをもっと知りたい」という自己理解の欲求があり、診断形式の結果は「自分のための答え」として受け取られやすくなります。提案が自分ごと化されるので、ただ勧められるより納得感が出やすいと思います。Amazonの特設サイトでシャワーブースを直感で選ぶ仕掛けも、同じ構造ですね。
気になるのは「ブランドイメージの統一感」
──逆に、課題があるとしたらどこでしょう?
関屋:あえて挙げるなら、商品イメージの統一感です。気分起点の提案は入り口として優れているんですが、同じブランドが「休みたい人」にも「ワクワクしたい人」にも提案されると、そのブランドが何者なのかという軸がぼやける可能性はあります。
感情起点の柔らかい提案と、ブランドとして積み上げたい一貫したイメージを、どう両立させるか。ここは今後の設計次第だと思います。
既存ブランドが「あえて選ばれる」ために
──この手法は、どんな企業の参考になりそうですか?
関屋:成熟した市場で戦う既存ブランドには特に有効だと思います。機能で差がつきにくいカテゴリでは、消費者が「なぜそれを選ぶのか」の理由を持てなくなっているんですね。気分や感性という新しい選択基準を提示することは、既存ブランドが「あえて選ばれる」ための理由付けになります。
69.3%の人が「自分の感性に基づいた商品提案に興味がある」と答えているのは、消費者側もそういう選び方を求めているサインだと思いますよ。
まとめ
スペックの比較ではなく「気分」という物差しを渡すことで、選ぶ負担を選ぶ楽しさに変えた花王の「pick pick market」。選択肢過多の時代への、ひとつの具体的な答え方だと感じました。
関屋さんの指摘の通り、感情は意思決定の入り口です。買ってほしい理由を並べる前に、「お客さまはいま、選ぶことに疲れていないか」と問い直してみる価値はありそうです。
一方で、ブランドイメージの統一感という宿題も見えてきました。感性で入り口を広げながら、ブランドの軸をどう守るか。このバランスは、他の業界にも共通するテーマになりそうですね。
──関屋さん、本日もありがとうございました!
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