【反共感論】共感には、どんな危険が潜んでいるのか?
「心理学」「脳科学」関連の書籍を読んで、blogle編集部が感じたことをお伝えしていくコーナーです。
今回は、「共感には、どんな危険が潜んでいるのか? 」をテーマにお話したいと思います。
今回の話は、【『反共感論 社会はいかに判断を誤るか』著者:ポール・ブルーム】からインスピレーションを受けました。

こちらはイェール大学心理学教授且つ発達心理学、社会的推論、道徳心理学の世界的権威であるポール・ブルーム氏が共感に潜む危うさを提唱した問題作です。
今回私がお伝えしたい結論を先に言ってしまうと、
「共感は、場合によって残虐行為の引き金になる」
「情動的な共感に流されず、理性的に物事を判断しよう」
という事です。
共感って人の気持ちに寄り添う事じゃないの?なんで残虐行為の引き金になるの?て感じですよね。
共感力が高い人は支持されやすいし、マーケティングでも如何に顧客の立場で考えられるか、如何にターゲットとするユーザーへブランドまたは商品やサービスへの共感を得られるかが重要だったりで、理性だけじゃダメなんじゃないの?って私も思いました。
私もそう思っていたのですが、どうやら共感という概念はとても奥が深いようなんです。
共感は一つじゃない——「情動的共感」と「認知的共感」
何で今回のような結論に至ったの理由を述べると、
著者曰く、まず前提として共感は大きく2種類に分かれるとの事。
・『他者が感じていること(とりわけ苦痛)を自分でも感じる追体験』という意味の『情動的共感』
・『自分では追体験せずに、他者が何を考えているかを理解する』という意味の『認知的共感』
情動的共感が、判断を狂わせる4つのバイアス
そのうち、情動的共感が特に問題のようです。何がそんなに問題なのか?
端的にいうと、情動的共感は以下4つのバイアスにより「偏向」しやすく合理的な判断を誤らせる傾向にあるからです。
1,共感は、『特定性』を重視する。
すなわち、抽象的な集団よりも、より具体的に描写された個人を「ひいき」する。2,共感は、『数的感覚が欠如』している。
特定の個人の苦難を、1000人の苦難より重要と見なされる状況をつくりだす。3,共感は、『焦点』がおそろしく狭い。
共感に関与する脳領域は、敵か味方か、あるいは自集団か相手集団かの区別に敏感であり、また共感は人の見てくれが魅力的か醜悪かなどといったことに敏感である。4,共感は、『攻撃性の燃料』として作用することがある。
悲劇に共感することで、善意にもとづいた報復が行われる。
そして共感に基づく報復は、外部の目から見てひどく残虐なものに映る場合がある。
なので著者は、共感は、公正で公平な道徳的判断のツールとしてふさわしくない、と指摘しています。
共感のもたらす直感的で不合理な性質(特定性を重視し、統計を理解せず、身内びいきし、抽象的な多数よりも具体的な1人の悲劇を重視して報復する性質)は理性的な判断を狂わせる危険性を孕んでいる。確かにバイアスの中身を見ると納得ですね…
では、共感は悪なのか?——道徳の指針は「理性」
では、共感は必ずしも悪なのか?
認知的共感は人とのコミュニケーションにおいて相手の立場を理解しようとする上でとても大切なものとなります。
更には、情動的共感についても、人間はこのバイアスの奴隷であるわけではなく、客観性や理性によってバイアスを修正して、道徳的な判断を行う力を本来的には持っていると著者は述べています。
そして、「じゃあ、共感に代わって何を道徳的指針に据えるべきか?」
著者の答えは、「感じるのではなく考えること」であり、ひと言でいえば「理性」。
共感にもとづいて他者に働きかけるのではなく、理性を行使して「何をすべきか」を判断すれば、わたしたちはもっと適切な方法で他者を思いやり、もっと公正な社会を築くことができる。
善き人間でありたいなら、道徳的指針として共感に頼らずに、合理的な理性でもって、結果に責任をもった『効果的 利他主義』を実践すべきである。と述べられています。
ちょっと難しい感じですが、1人や一部の感情的で強烈なストーリーにより感情を支配されたり、大局的な視点を失ったりせず、組織・社会・国家等のより大きな枠組みで考えた場合にはどのような選択がより多くの人々にとって善い判断なのかを、常に冷静になって考え続けることが重要なのかもしれません。
「刺さった一人の声」だけで、施策を決めない
本が指摘していたのは、情動的共感は「特定の一人」を強くひいきし、数の感覚を失わせるという偏りでした。これは、お客さまを理解しリサーチする場面に、そのまま効いてくるように思います。インタビューで心を打つ一人の語りに出会うと、私たちはつい、その一人の声を「みんなの声」のように扱ってしまいがちです。強烈なエピソードほど記憶に残り、判断のハンドルを握ってしまうのです。
だからこそ、心を動かす定性の声(一人の物語)と、それが全体の何割に当てはまるのかという定量の裏づけを、意識して往復させる。この二段構えが、偏りへの歯止めになるように思います。たとえばアプリの改善なら、レビューで最も感情的に書かれた一件に飛びつく前に、その不満が実際に何%のユーザーに起きているのかを一度確かめる、という切り口が考えられます。共感で仮説を掴み、理性で重みづけをする。順番と役割を分けるだけで、意思決定は落ち着いていきます。
心を打つ一人の声は仮説の入り口として大切にしつつ、それが全体のどこに位置するのかを冷静に確かめる。その往復が、判断のブレを防ぐように思います。
共感を「使う」なら、認知的共感の側から丁寧に
本は共感を全否定したわけではなく、相手が何を考えているかを理解する「認知的共感」の価値は認めていました。この区別は、マーケティングで共感を扱うときの姿勢を整えてくれるように思います。共感は顧客理解の中心にありますが、感情をあおって衝動を引き出す情動的な使い方に寄りすぎると、後から「煽られた」という不信を残しかねません。
たとえば社会課題を扱うブランドが、悲しいストーリーで一時の同情を集めるのではなく、「その人が本当は何に困り、何を望んでいるのか」を理解した上で、続く行動を無理なく設計する。感情の瞬発力ではなく、相手の状況への理解から関係を組み立てる、という切り口が考えられます。認知的共感を起点にすれば、コミュニケーションは一過性の感動ではなく、持続する信頼に向かっていくように思います。
相手の心を勝手に決めつけず、何を考え、何を望んでいるかを理解しようとする。その認知的共感の姿勢こそが、信頼されるコミュニケーションの土台になるのだと思います。
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